Waxpoetics

Waxpoetics Japan
Waxpoetics Japan No.03 (Book)
GruntStyle (JPN)(2009)
Price: ¥1,257 ¥400

Wattstax
なぜ、我々の文化的集合意識に鮮明に記憶される歴史的瞬間もあれば、忘れ去られる重要な瞬間もあるのだろうか? どの角度から捉えても、1972年のワッツタックス・コンサートは歴史的瞬間だったわけだが、1970年代が残していった瓦礫の中にこの重大イベントが30年間も埋もれてしまったのだ。1972 年8月20日におびただしい数の人々がロサンジェルス・コロシアムに集まり、これまでアメリカが見たことのない光景が繰り広げられた。

Bill Withers
彼のような人物はまずいない。ビル・ウィザースは、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハザウェイといった偉大なアーティストと同列に語られるが、その誰もビルほど直接的に歌い、率直に曲を書き、極めて繊細な真実を描くことはない。彼はポップ・チャートのトップに上りつめたシンガー・ソングライターで、各賞を受賞し、その作品はバーバラ・ストライサンドにカバーされ、ドクター・ドレーにサンプリングされ、あらゆる世代のアーティストに影響を与え続けている。

Q-Tip
あれは1990年のこと。『The Source』誌が変わった名前の新人グループのデビューLPに、前代未聞の5本マイクという最高点をつけた。それを見て興奮し、すぐにその『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』と題されたアルバムを買いに走った読者が、内容を聴いて完全に期待を裏切られ、カセットテープをゴミ箱に放り込んで、すぐさま編集部宛に書いたという抗議の手紙がその次の号で紹介されていたことを思い出す。

MF DOOM
映画は好きですか? だったら、何人か好きな脚本家の名前を挙げてみて欲しい。もし名前を思い出すのに必死になっているなら、こうした架空の登場人物の口から発せられる印象的な言葉を考えるという行為が、なかなか日の目を見ないアートフォームであることが分かってもらえるだろう。これらの知られざる台詞書きの名手たちが、有名な創造物の陰から自らの姿を現すことはほとんどないのである。ようこそ、ダニエル・ドゥミルの世界へ。

Les McCann
9/11後のマンハッタンで生活するにはゴム人形のガンビーより柔軟でないと生きていけない。女神ドゥルガーより多くの腕を持たないと人生が投げかけてくる変化球を捕まえきる事は不可能だ。最近ではギグの回数もめっきり減ったと認めざるを得なくなり、パグ犬のルイに今まで通りの生活をさせてあげる為には何か安定した副業を見つけるしかなかった。多少おしゃべりでもある私にとって教職は相応しい仕事と言えるかもしれない。

King Tubby
1967年、ルディー・レッドウッドのサウンド・システム用のダブ・プレートに、うっかりヴォーカルのトラックをミックスし損ねたバイロン・スミスの不作為によって、音楽の歴史において最も意味深い革新の時が訪れることになった。この些細なアクシデントの発展によって、ジャマイカという小さな島国で、リミックスという大芸術の形式が誕生したのである。それは、DJハークと彼の友人達がアメリカの地においてその概念に特許を出願した1970年代後期の遥か前の出来事であった。

12×12 with Danny Krivit
ニューヨークのクラブ・カルチャーについて知りたいなら、ダニー・クリヴィット以上のガイドはいないだろう。ニューヨークのダウンタウンで育ったクリヴィットの人生は、クラブDJが初めて登場し、人気を確立していく歴史とピッタリ重なっているからだ。グループが主流だった60年代(子供の頃はミンガス、ヘンドリックス、ザ・ヤング・ラスカルズに夢中だった)に生まれ、ロフトなどのクラブが有力になった70年代に、彼は思春期を迎える。

Clyde Stubblefield
全てはブレイクから始まった。70年代初頭のパーク・ジャムの連中は、ブレイクの威力を発見し、そこからヒップホップが誕生した。初期のBボーイやBガールたちが最も好んだブレイクの多くは、1人の男が生み出したものだった。それは、ポンパドール(オールバック)の髪型がキマっていた、ファンクマスターのジェームズ・ブラウン。ジェームズ・ブラウンの最もサンプリングされたドラム・ブレイクは、クライド・スタブルフィールドとジョン・ジャボ・スタークスという2人のドラマーが叩いたものだ。

Daniele Baldelli
宇宙船に乗り地球の周りを回っているところを想像してみてほしい。無重力で、遠く離れた場所で、無重力対応のiPodで音楽を聴いているのだ。あるいは、フリッパー(ダイビング用の水かき)を着けて、とうもろこし畑を駆け抜けようとしているしばし想像させてほしい??糖蜜の入った巨大なタンクの中をトランクスとゴーグルだけ着けて泳ごうとするところ。このあり得ない遅さ、この……どろりとした液体を一気飲みするような感覚は、イタリアのアフロ・コズミック・サウンドと同じだ。

How to Clean Dirty Records
理由は何にせよ、どうも私はこの上なく酷な状況に晒されてきたレコード達に縁があるようです。そして、音楽自体の質とコンディションの相関関係は、どうでもいいアルバムに限ってミントであり、重量級のファンクに至っては大概使い尽くされているように思われます。ドロカス、ベタベタ物質、何で汚されているにしろ、それが意味しているのは、これらのレコードが手に負えない代物に成り下がっているということです。これらのものを如何に正しく洗浄するか、それを学ぶ事は汚れに埋もれた溝の中に隠された宝石を探し当てるということに他なりません!

On The Blackhand Side
映画『国民の創世』からジャー・ジャー・ビンクスに至るまで、白人による黒人描写の歴史には、意識的にせよ、無意識のうちにせよ、白人世界における黒人の立場をコントロールしたいという、白人たちの欲望が詰め込まれている。それは可変的で、含みのあるキャラクターや、ヴェールに包まれたイメージを通して行われてきた。こうした歴史のある時期、つまり1950年代、60年代において、ハリウッドはそれまで無視してきた社会階級に意識を向け、その階級を代表し、戦後の沈滞した映画産業を活性化できるスターを作り上げた。

Re:Generations
年齢やジャンルを問わず、どんなタイプの音楽ファンでも、必ずナット・キング・コールのソフトなバリトーン・ボイスを耳にしたことがあるはずだ。古き良きアメリカの時代を象徴するジャズ・シンガーだったナットは、世代を超えて愛されてきた。そんな彼の音楽を現代の若いリスナーに聴いてもらうべく、ナットの長女であるキャロル・コールが、音楽シーンの最前線で活躍するヒップホップ、ロック、電子音楽のアーティストにナットの楽曲をリメイクさせる『Re:Generations』を発案した。

quasimode
今や、日本のみならず海外でも高い評価を得るクラブ・ジャズ・バンドとなったquasimode。怒濤のリリース・ラッシュで2008年のシーンを牽引した彼らが、2009年初頭、早くも発表したニュー・アルバム『mode of blue』は、何と名門BLUE NOTEのカバー・アルバムだ。これまでも、数々のコンピや記念盤といった企画がクラブ向けにBLUE NOTEからリリースされて来たが、それらはクラブのリスナー達にBLUE NOTEの存在を知らしめるという意味合いが強かった。

Yuji Ohno
十代の頃からラジオの洋楽番組に耳を傾けジャズに興味を持ち、慶應高校に入ったことで、何人かのジャズ好きの仲間達と出会い、ジャズ喫茶に入りびたり、全くの独学でジャズを学び、ジャズ・ピアニストの道に進んだ。キャバレーなどでピアニストとして経験を積み、ご縁からCM音楽を作り出すようになり、超売れっ子へ。さらなるご縁からテレビ音楽、映画音楽などにも活動の幅を広げた。そして、ここ十数年は、再び人前でジャズを演奏することをこよなく愛しているピアニスト、作編曲家、それがヴェテラン大野雄二さんだ。

Earl Palmer
ジェームズ・ブラウンは、その優れたキャリアの間に最も多くの賞賛を浴び、それに十分値する人物だったが「ショウ・ビジネス界で最もハードワーキングな男」の称号に関して言えば、ブラウンよりもアール・パーマーの方がふさわしかったかもしれない。半世紀以上の間、ドラマー、プロデューサー、そしてアレンジャーとして、パーマーは挙げればキリがないほどのアーティストのレコーディング作品に貢献し、ポピュラー・ミュージックの定義付けに寄与した。

Norman Whitfield
「僕が目指したのはなんとか、スライ・ストーンに勝つことだった」。今は亡き偉大なノーマン・ウィットフィールドはかつてインタビュアーにそう言った。「スライのサウンドは新しく、彼が生み出すグルーヴは素晴らしかった。彼は最高だったよ。彼とはいい勝負ができたと思う。(彼の)リズムには(僕の)リズムを、(彼の)ホーンには(僕の)ホーンをという戦いだ」。さて、スーパー・ソウルの戦いは、どちらに軍配が?

Alton Ellis
アルトン・エリスが2008 年10 月18 日朝、70歳で癌のため死去した時、ジャマイカ音楽史は人々に最も愛された黄金の歌声の1人を失った。彼はシンガーとして曲に真の魂を吹き込む事が出来た。例えそれが7インチ・シングルの中でもだ。エリスのレコーディング・キャリアが始まったのは1959年。彼はR&B、スカ、ロックステディ、レゲエの時代を通してジャマイカを見つめ続けてきた。

Mulatu Astatke
エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝の支配が終焉に近づいた頃、政府による厳しい検閲が行われていたにも関わらず、アディス・アベバではエチオピア伝統音楽とファンクやジャズなどを融合させた新たなムーヴメントが活気づいていた。60年代から70年代のこの時代の音楽は『Ethiopiques』シリーズで世界的に知られるようになったが、特にジム・ジャームッシュ監督の映画『Broken Flowers』でエチオピア人作曲家ムラトゥ・アスタトケの楽曲が多数使用され、若いリスナーやDJを虜にした。

Guillermo Scott Herren
2001年にギレルモ・スコット・ヘレンと出会ったとき、彼はプレフューズ73名義のファースト・アルバムをリリースし、ヒップホップとエレクトロニカを融合させたサウンドで世界的に注目を浴び始めていた。豪華なゲスト・ラッパーをフィーチャーしたり、作品ごとにイメージを覆してきた彼だが、最新作『Everything She Touched Turned Ampexian』ではプログレやサイケの要素を取り入れ、よりシンプルなインスト・ヒップホップ・トラックへと回帰している。

Kero One
自らの作品を出すためにラッパー兼プロデューサーであるケロ・ワンが設立したレーベル、Plug Labelのサイトには、彼のキャリアがどう始まったのかが記されている。何の経験も知識もなかった彼が自宅で録音した曲を、自らの資金で12インチにプレスし、50枚だけ流通させたのが2003年。その1枚を購入した日本のあるDJがプレイしたのをきっかけに、日本から3,000枚の追加注文が入った。この最初のシングル「Check The Blueprints」をきっかけに、彼の生活は大きく変化することになる。

Emi Tawata
彼女と歌声とその音楽には、いっさいの夾雑物がないと思う。純粋な、クリアなブラック・ミュージックの響きが、そのサウンドの内側にはギッシリと詰まっている。2008年にリリースした2枚のミニ・アルバムにより、世間に広く知られるようになった沖縄出身のシンガー、多和田えみ。彼女はときに「新世代の歌姫」や「ブライテスト・ホープ」とも称される注目株だ。そのエモーショナルな歌声に1度でも触れたら、そういう評判の高さも頷けるはず。

Steph Pockets
フィラデルフィアに生まれ、ヒップホップと共に育ったステフ・ポケッツ。MCであり、プロデュースも全て自らの手でこなす女性アーティストだ。幼少期は、当時ジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスとして活動していたウィル・スミスが近所に住んでおり、ラッパーを志していた彼女を励ましてくれたというし、夢だったミュージシャンとなった今は、外国をツアーし、映画やCMの音楽も手がけている。

Alf Alpha
アルフ・アルファと名乗るロサンゼルスのニューカマーは、すでにあるものを組み合わせて新しい未来をつくるのが次世代の特権だと言わんばかりに、ヒップホップ、パンク、ジャズ、ファンク、ソウル、ディスコ、ハウス、エレクトロなどを大胆に引用、再構築し、まったく新しい音楽を鳴らしている。24歳にしてすでにスケート歴20年、ブレイクダンス歴8年を誇る生粋のストリート・キッズであり、アメリカ随一のミュージック・フェスティバルが発表する、2008年のベストDJ でもある彼。

ヴァイナル駅伝
さぁ~て今月の「駅伝くん」は、大野雄二さん編をデリヴァリー! NGワードは、“ファンキー”と“グルーヴィー”で4649! 先頭集団で飛び出てきたのは、やはりあなたでしたか、の(1)! 今や海外では$100オーバーとも言われる盤で、来日した海外のプロデューサーほぼ全員に聞かせて全員にトレードしようと言われたレコード。ボム「忍び寄るインベーダー」には誰が早く忍びよる?